コシツェ旧市街の中央通り

スロヴァキア第2の都市コシツェを歩く|増根正悟によるスロバキア連載 第5回

前回は、アメリカのスターたちのルーツを通して、スロヴァキアとアメリカの意外なつながりをたどりました。今回は、増根正悟さんが暮らすスロヴァキア第2の都市、コシツェへ。

旧市街を彩る建築や、石畳に残る歴史の手がかり。そして、日本とも縁のあるマラソン大会。NOVESTAがお届けするスロバキア連載の第5回は、増根さんの案内でコシツェの街を歩きます。


 ヨーロッパを旅するとき、首都だけで旅を終えてしまうのは少しもったいない。その国の素顔や土地ならではの個性は、むしろ地方都市にこそ顔を出すことがある。スロヴァキアなら、東部に位置する第2の都市、コシツェを訪ねてみたい。

町の中心に立つゴシックの巨人

 コシツェの旧市街を南北に貫く中央通り(Hlavná ulica)。名前こそ「通り」だが、その印象はむしろ細長い広場に近い。歩行者天国となった石畳の両側には、歴史的な建物が途切れることなく並ぶ(写真1)。カフェのテラスでコーヒーを飲み、気になる建物を見つけては足を止める(写真2)。そんな過ごし方がよく似合う場所だ。

コシツェ旧市街の中央通り
写真1:コシツェ旧市街の中央通り
旧市街の裏路地
写真2:旧市街の裏路地

 旧市街の中心にそびえるのは、聖アルジュベタ大聖堂(Dóm svätej Alžbety)。スロヴァキア最大の大聖堂であり、EUで最も東に位置するゴシック様式の大聖堂でもある(写真3)(写真4)。時間があれば塔にも上ってみたい。眼下には赤い屋根が連なる旧市街、その向こうには東スロヴァキアの風景が広がる。

聖アルジュベタ大聖堂
写真3:聖アルジュベタ大聖堂
大聖堂の内部
写真4:大聖堂の内部

 この大聖堂が建てられた経緯は面白い。今から600年以上前、ある神父がミサを執り行っていたときのこと、儀式に使う赤ワインを、うっかりテーブルクロスにこぼしてしまった。ところが、そこに残ったシミの形が、なんとイエス・キリストの姿にそっくりだったという。これが奇跡として語り継がれ、コシツェには多くの巡礼者が訪れるようになった。巡礼者が増えれば、寄付も集まる。その財源をもとに、壮大な大聖堂の建設へとつながったと言われている。

消えた城壁の手がかり

 大聖堂のすぐ裏手にあるのは、コシツェ国立劇場。ここでは日本人のバレエダンサーも舞台に立つ。劇場前の噴水は、いつも音楽が流れていて、「歌う噴水」という名前で親しまれている(写真5)。

歌う噴水とコシツェ国立劇場
写真5:歌う噴水とコシツェ国立劇場

 そこから少し歩けば、老舗レストラン兼ホテルのスラーヴィア(Slávia)が見えてくる。セセッション様式の華やかな建築が目を引く建物で、国の文化財にも登録されている(写真6)。食事をする予定がなくても、建物を眺めるために立ち寄る価値はある。

老舗レストラン兼ホテル「スラーヴィア」
写真6:老舗レストラン兼ホテル「スラーヴィア」

 一見すると、旧市街は中世の姿をそのまま残しているように見える。しかし、かつて町を囲んでいた3重の城壁は、そのほとんどが撤去されてしまった。では、城壁があった場所をどうやって見つけるのか。

 手がかりは、足元にある。旧市街の石畳を歩いていると、ある地点で突然、舗装の模様が変わる場所がある。そこが、かつて城壁が築かれていた位置を示しているのだ(写真7)。建物のように目立つわけでもなく、案内板が大きく掲げられているわけでもない。何気なく歩いていると見過ごしてしまうほどだ。

かつての城壁の位置を示す石畳の変わり目
写真7:かつての城壁の位置を示す石畳の変わり目

 けれど、その変化に気づいた瞬間、目の前の町並みが少し違って見えてくる。撤去された城壁の輪郭が、石畳の上にかすかに浮かび上がる。

世界最古の「市の紋章」

 コシツェが歴史的に発展した理由は、その地理にある。ヨーロッパの東西南北を結ぶ交易路が交差し、人や物、そして文化が行き交った。その歴史を象徴するのが、コシツェ市の紋章(エンブレム)である(写真8)。

コシツェ市の紋章
写真8:コシツェ市の紋章

 この紋章が授与されたのは1369年。当時のハンガリー国王ラヨシュ1世によるもので、文書の記録によって授与が確認できる市の紋章としては、世界最古とされている。

ヨーロッパ最古のマラソン大会

 毎年10月の最初の週末、町はいつもとは違う熱気に包まれる。1924年に始まった「コシツェ平和マラソン」が開催されるからだ。ヨーロッパ最古、そして世界で2番目に古い歴史を持つ、現在も続くマラソン大会として知られている。

 2026年の大会には、74か国から1万9000人以上のランナーが参加(ハーフマラソンなどの参加者も含む)。沿道には約8万人の観衆が集まり、町全体が大きな応援会場へと変わった(写真9)。普段は落ち着いた旧市街の通りを、世界各地からやって来たランナーたちが駆け抜ける。沿道の人々が声を張り上げ、拍手を送り、見知らぬランナー同士が同じ時間を共有する。

コシツェマラソン
写真9:コシツェマラソン

 実は、この大会と日本にも縁がある。ちょうど50年前の1976年大会では、日本の宗猛選手が優勝しているのだ(写真10)。遠く離れたスロヴァキアの地方都市で、日本人ランナーが歴史に名を刻んでいた。日本人としては、少し誇らしい気持ちになるエピソードだ。

宗猛選手のシューズ。コシツェ旧市街のカフェで展示されている
写真10:宗猛選手のシューズ。コシツェ旧市街のカフェで展示されている

 コシツェにおいて、マラソンは、単に42.195キロを走る競技ではない。毎年世界中から人々を呼び寄せ、町に新しい記憶をつくっていく。100年以上続くこの大会は、スポーツイベントであると同時に、町の歴史を次の世代へとつないでいく伝統でもある。

増根正悟(ましねしょうご)

1990年生まれ。スロヴァキアで計7年間生活し、これまでに在スロバキア日本国大使館や、駐日スロヴァキア大使館などで勤務。主な著書に『チェコじゃないスロバキア』(パブリブ、2024年)。

著書『チェコじゃないスロバキア』

本記事の執筆者・増根正悟さんの著書です。スロバキアの歴史や文化、暮らしをより深く知りたい方は、ぜひあわせてご覧ください。

増根正悟著『チェコじゃないスロバキア』表紙
増根正悟著『チェコじゃないスロバキア』(パブリブ、2024年)

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