旅先で街を歩く楽しみのひとつは、建物を眺めることだ。ガイドブックに載っている名所だけではない。何気なく曲がった路地の角や、一見すると地味な景観にも、その街が歩んできた時間が刻まれている。建築は、いわば街の記憶を閉じ込めたタイムカプセルなのかもしれない。
中世へと続く入口
ブラチスラヴァの旧市街は、過去にタイムスリップするのに最適な場所である。入り口にあたるミハル門を抜けると、そこには中世から続く街並みが広がっている(写真1)。旧市街は歩行者天国になっているため、車を気にせず、のんびりと自分のペースで歩くことができる。

ふと通りの名前のプレートを見上げてみるのも面白い。例えば、中央広場に至るセドラール通り(Sedlárska ulica)は、かつて馬具職人(sedlár)の工房が並んでいたことから、その名が付けられたという。石畳の上を歩きながら、数百年前には同じ場所を職人や商人たちが行き交っていたのだと想像すると、街歩きは急に立体的になる。
街の中心、中央広場にたどり着くと、旧市庁舎や日本大使館が出迎えてくれる(写真2)。冬になれば広場はクリスマスマーケットで賑わい、ホットワインの香りが石造りの建物の間を漂う。広場を囲む建物の多くは、もともと貴族たちが暮らしていた館だ。現在はカフェやレストラン、土産屋などに姿を変えているが、建物の配置や基本的な構造は大きく変わっていない。用途は変わっても、建物そのものは生き続けている。

一つの街にいくつもの時代
しかし、ブラチスラヴァの魅力は旧市街だけではない。中世の街並みから少し足を延ばせば、まったく異なる時代の建築が次々と現れる。例えば、20世紀初頭に建てられた「青の教会」(写真3)。当時流行していたアール・ヌーヴォー様式が採用され、曲線を多用した自由で明るい装飾が印象的だ。一方、1930年代に建てられた複合ビル「アヴィオン」(写真4)は、装飾を抑えた整然とした近代建築で、機能主義建築の傑作と評されている。同じ街の中で、建築の流行がページをめくるように切り替わっていく。


UFOと逆さピラミッド
社会主義時代になると、街の風景はさらに大胆になる。当時の技術力や未来への憧れをそのまま形にしたような、奇抜な建造物が次々と生まれた。
ドナウ川に架かる「スロヴァキア民族蜂起橋(Most SNP)」(写真5)は、その代表格だ。川底への支柱を持たない独特の構造をした橋の上には、UFOのような物体が浮かんでいる。その正体は展望台とレストラン。地元の人々にとってはすっかり見慣れた存在だが、初めて訪れた旅行者は思わず足を止めるだろう。

スロヴァキア・ラジオの本部(写真6)は、巨大なピラミッドを逆さにしたような姿で街にそびえる。初めて見た人なら、建物というより巨大なオブジェ、あるいはSF映画のセットのように感じるかもしれない

中世の街並み、アール・ヌーヴォーの教会、逆さピラミッド。ブラチスラヴァでは、異なる時代の建築が意外なほど自然に同居している。
歴史の断層を横切る日常
では、ブラチスラヴァに住む一般の人々は、どのような家に住んでいるのだろうか。旧市街を挟んでドナウ川の南側、ペトルジャルカ地区には、社会主義時代に巨大な団地群が建設された(写真7)。現在も市人口の4分の1弱にあたる約10万人が暮らす巨大な住宅地だ。

団地と聞くと、昭和の古めかしい風景を思い浮かべるかもしれない。しかし、多くの建物はきちんと改装されているので、意外と快適に暮らすことができる。あくまでも参考価格であるが、不動産会社のウェブサイトを見てみると、団地の1室(72㎡で3部屋付)が24万ユーロ(約4400万円)で売りに出されていた(写真8)。

コンパクトなブラチスラヴァの街では、長距離移動とは無縁の生活を送ることができる。旧市街からペトルジャルカの団地までは、UFOの橋を渡り、市バスに揺られて15分ほど。中世の石畳から社会主義時代の団地まで、ブラチスラヴァでは日常の移動そのものが、歴史の断層を横切る小さな旅になる。
増根正悟(ましねしょうご)
1990年生まれ。スロヴァキアで計7年間生活し、これまでに在スロバキア日本国大使館や、駐日スロヴァキア大使館などで勤務。主な著書に『チェコじゃないスロバキア』(パブリブ、2024年)。
著書『チェコじゃないスロバキア』
本記事の執筆者・増根正悟さんの著書です。スロバキアの歴史や文化、暮らしをより深く知りたい方は、ぜひあわせてご覧ください。
